はじめまして!プロフィールページにきていただきありがとうございます。
Cross the borderを運営しているあきと申します!
普段はサラリーマンをしています。神奈川県在住です。
自分がこれまで旅をしていく中でたくさんのweb上の情報に助けられました。
また同時に、この情報があるといいのになぁ…と思うようなこともありました。
自分が今まで得てきた情報、またこれから得ていく情報が別の誰かの役に立てればと思い、ブログを立ち上げました。
プロフィール記事では、私自身についてと本サイトで伝えていきたいことについてまとめていきます。
もくじ
私について
私の生い立ちと半生についてまとめていきます。
東京都西部で生まれ育つ
生まれは東京の西の方、多摩地区と呼ばれる地域です。
東京生まれというとシティーボーイとか言われることがありますが、そんなことはありません。
自然が多く、最寄りの電車の駅まで徒歩30分以上かかるようなところに住んでいました。
そんなところで生まれ育ったので、今でも都心にはあまり住みたいとは思いません。
親から言われるのは小さい頃からずっとマイペースだったということです。笑
小学校入る前から今までずっと変わっていないんだな…としみじみ思います。
自由気ままな小学校低学年
小学校低学年時はとにかく自分がやりたいことをしていました。
外で遊ぶことが好きだったけど、両親が共働きで一人で留守番することも多かったので、家でゲームをすることも大好きでした。
自己中すぎて周りから無視された小学校高学年
小学校高学年になったある時、学校の友達が全然自分に関心を持ってくれなくなりました。
完全に無視された訳ではないけど、全く深く関わってもらえなくなりました。
当時はどうしてそうなったのかがわからず、友達とどう接していいかわかりませんでした。
そこから次第に人見知りが強くなり、また自分の意見を人前で言うこともあまりなくなりました。
中学校時代
中学生になり、新たな友達ができたり、部活に入ったことでまた前向きに生きれるようになりました。
(ちなみに部活はサッカー部でした)
成長期で身長が一気に伸びたこともあり、小学生時代はぽっちゃり目だった体型が標準になり、それに伴ってスポーツが好きになりました。
部活漬けの高校時代
高校時代はほぼ部活をしていました。
(ちなみに高校はラグビー部でした)
授業は基本寝て、部活の時間になったら動き出す典型的な体育会系です笑
また、入った高校が進学校だったため学業では堕落し、学年でも下の方でした。
ラグビー部時代は本当に練習がキツく、監督もとても厳しい人だったので、やめようと思ったことが何度もありました。
人生において大事な事をこの時に学ばせてもらっていた気がします。
今ではこの時の経験は自分の財産になっています。
当然の受験失敗、浪人
高校時代は部活ばっかりで大して勉強もしていなかったので、受験期には苦労しました。
そもそも文系、理系どっち?と聞かれてもどっちに進んでもやりたいことがそんなにない…
という状態で、周りのみんながいい大学を目指しているのでとりあえず自分もそのレベルを目指していました。
しかし、高3で進路を考える中で、自分が一番興味を持っているのが体育やスポーツについてだということに気づいたので、大学はそれを学べる大学に行こうと決めました。
受験勉強を始めたのは高校3年で部活を引退した10月から。
当然そこから受験に間に合う訳がなく、志望校には不合格。
浪人することにしました。
親から喝を入れられ勉強する気に。予備校で良き仲間と出会い
浪人直後はしばらくやる気が出ず、家でダラダラしていましたが、ある日転機が訪れました。
浪人しているのにも関わらずダラダラしている自分の態度をみて、親から強烈な喝を入れられました。
そこから、本気で志望校合格向けて頑張る気持ちにれました。
自分が通っていた予備校は特殊なところで、体育系の大学に行きたい人ばかりが通うところでした。
そのため、学科の授業以外に実技の時間もあり、浪人生ながら運動をかなりしていました。
座りっぱなしで勉強漬けの生活は自分には耐えられません笑
予備校の仲間と体育会のノリで勉強も運動もできていたので、そこまでのストレスを感じることなく受験に臨めました。
そして無事に第一志望の大学に合格できました。
初めての一人暮らし、全てが自分の責任になった大学時代
私が通った大学は地方の大学だったので、大学の近くで一人暮らしをしました。
また、浪人する時の親との約束で基本的には仕送りなし。
生活費はアルバイトで稼ぎ、学費は奨学金で賄うという生活を送りました。
こんな状況でしたが、自分が入りたくて入った大学だし、部活もやりたかったので
勉強も頑張るし、部活もやるし、アルバイトもやってやる!と気合十分で一人暮らしを始めました。
ラクロスとの出会い
大学でも部活に入りたかったのですが、アルバイトをして生活費も稼がないといけません。
なので、入れる部活にも制約が出ます。
そんな中で出会ったのがラクロスというスポーツでした。
多くの人が大学から始めるから日本代表を目指せるよ!という勧誘の決まり台詞に見事にハマり、即決でラクロスを始めました。
そこからはラクロス漬けの日々になりました。
残念ながら日本代表にはなれませんでしたが、そこそこ上手くなってきた大学2年後半にまた転機が訪れました。
初めての海外はラクロス留学
大学2年の夏、実は大きな失恋をしました。
その時に「もうラクロスに全集中だ!」と心に誓い、めちゃくちゃ練習に力を入れました。
そこからは都会のラクロスの情報を仕入れて練習をしたり、実際に練習に混ぜてもらったりしましたが、次第に海外のラクロスに触れてみたくなりました。
海外で本場のラクロスに触れたら何か気付けるはずだ!という単純な思考でラクロス留学を決意。
チームに迷惑をかけないよう、夏休みの1ヶ月だけ留学をするために準備を始めました。
選んだ留学先はオーストラリア。
選んだ理由はラクロスが強い国だったことと、調べた中では一番安かったこと笑
そこから留学するための費用を稼ぐべく、アルバイトも複数掛け持ってひたすら働きました。
当時は「授業か部活かアルバイトしかしていない」と周りに言われてました。笑
その甲斐あってなんとか費用も溜まり、オーストラリアにラクロス留学しました!
初めての海外が最高の体験になる
オーストラリアでの生活は新鮮さと学びと楽しさの連続でした。
日中は語学学校に通い、夕方からラクロスの練習をする時間。
初めての海外、英語でのコミュニケーション、いろんな国の友達
全てが自分にとってかけがいのない時間になりました。
そして「海外でスポーツを通じて仲間を作るってすごい楽しい」と強く感じたのを覚えています。
大学卒業し社会人に
ラクロスに力を入れた大学生活が終わり、いろいろありましたが一般企業に就職しました。
就職する基準にしたのは「自分が絶対に向いていないと思った営業職にチャレンジする」ということでした。
やらずに向いていないと判断するのもどうかと思っての決断です。
結果的には営業職にしてよかったと思っています。
向いているかは置いといて、この時身につけた営業スキルは今でも非常に役に立っています。
自己投資に400万円投資
会社で働くことに慣れてきた2年目の後半、自分の人生はこのままでいいのか?という疑問が湧いてきました。
自分のやりたいことは本当にこれだったのか?という気持ちが抑えられなくなってきました。
もやもやをどうやったら解消できるかがわからなかったので、自己啓発の本を読んだり、気になったセミナーにどんどん出てみました。
中には怪しいものもたくさんありましたが、素晴らしいセミナーなどもあり、そこで成功している人たちが大切にしている価値観などを学びました。
そして同時に、自分はどうしたいか?を何度も何度も問いかけました。
学生時代に封印した想いを叶えることを決断
自分のやりたいことを考える中で、それまでにやりたいけどやっていないことがある事に気づきました。
それは、ラクロスで本場のカナダ、アメリカにチャレンジする。という事です。
トッププレーヤーという訳ではなかった自分ですが、ラクロスを通じて海外の人と交流したい、本場ではラクロスをどう楽しでいるかを体験したいという想いが強くありました。
このことに気づいてからの行動は早かったです。
すぐに留学について調べ、半年後には退職して留学する準備を整えました。
半年間のカナダ留学
留学先に選んだのはカナダ・トロント。
そこで一からラクロスのチームを探し、直談判してチームに混ぜてもらいました。
カナダ人のラクロスとの関わり方は日本人のそれとは全然異なり、小さい子どもから70歳以上のおじいちゃんまで一緒にラクロスを楽しんでいました。
また、北米独特の都市全体でスポーツチームを応援する雰囲気にもハマりました。
こんな街の雰囲気を日本でも作りたい。と思うようになりました。
帰国後、旅にハマり出す
カナダから帰国した後、毎年のようにひとり旅に行くようになりました。
初めは英語圏だったりメジャーな都市に行っていましたが、短い時間や限られた予算でどうやって旅をしようかと考えるようになり、そこからは途上国にも行くようになりました。
2019年には東南アジアを10日で5カ国回ってみたり、2020年はアジア、アフリカ、ヨーロッパ10カ国を12日間で渡るなど、バックパッカーとして世界を見て回ることが大好きになっていました。
アフリカ・ウガンダではウガンダのラクロス協会の方達と交流し、道具の支援を行わせていただきました。
他にもウガンダでは銃を突きつけられて急死に一生の体験をするなど、アフリカではさらに新たな世界がひらけたような感覚がしました。
今後、コロナが明けたら再びアフリカの行っていない国や、まだ未開の南米などにも行こうと思っています。
どんな人間か?
好きなこと
・スポーツ(観るのもするのも)
・ひとり旅(結婚してからは普通の旅行もしています)
・多摩地域(地元を盛り上げたい気持ちが強いです)
嫌いなこと
・強制されること
・筋が通っていないこと
・単純作業
叶えたい夢
・スポーツ×旅でのビジネス展開
・地方創生
・キャンピングカーで世界旅行
これまで訪れた国
アジア
・ベトナム
・ラオス
・カンボジア
・タイ
・マレーシア
・シンガポール
オセアニア
・オーストラリア
・ニュージーランド
アフリカ
・ケニア
・ウガンダ
・ルワンダ
ヨーロッパ
・スイス
・フランス
・ベルギー
・ドイツ
・オランダ
・ロシア
北米
・アメリカ
・カナダ
中南米
・キューバ
訪れたことがある日本の都道府県
47都道府県全て訪れたことがあります。
ブログで伝えていきたいこと
本サイト名である「Cross the border」とは直訳すると「国境を越える」という意味になります。
旅や旅行をテーマにした内容がメインのブログなので、もちろんそのままの意味もありますが、個人的には別の想いも込めています。
それは
このサイトに訪れた人が、自分の日常から一歩外に出て新たな世界と出会う役に立ちたい。
ということです。
人は安定を求めます。
それは悪いことではありません。
ただ、私は新たな出会いや気付き、成長は自分の安全領域の外側にあると思っています。
私はスポーツや旅を通じて、自分の安全領域の外側に出るチャレンジをしてきました。
そしてこれからも少しずつ自分の安全領域の外に出ていきます。
安全領域の外側に出るのは怖いです。不安です。
だけど、勇気を出して一歩踏み出してみると今までとは違う世界が見えてきます。
どんなに小さな一歩でもいいんです。
今までやったことがないことをしてみて欲しい
その背中を押したいと思い、ブログを書いています。
コロナが落ち着き、また自由に外の世界に出ることができる日が来ますように。
2021年2月 あき